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日航機墜落事故の生存者女性4人の現在と生存できた理由・座席は?

どうも筆者です。

飛行機は大人になった今でも

怖さは拭えずできるなら乗りたくはありません。

 

2018年現在、あの忌まわしい航空機事故

日本国内で発生した航空機事故で最多、

単独機の航空事故としては世界でも最多の死者数を出したと言われる

『日航機123便墜落事故』が起きてから33年の節目を迎えます。

 

筆者は、事故当時ヘリで救出される模様が

テレビで映し出されていた川上慶子さんと同じ年代でしたので

同じ年頃の子がとんでもない目に遇っている。。と

息ができなくなり、胸がとても苦しくなった記憶があります。

 

2018年8月16日に放送される番組『直撃!シンソウ坂上』で

33年を経た今、日航機墜落事故がピックアップされるとのことで

あの彼女たちのことを思い出し現在がとても気になった。

そしてこの事故、事件が風化してしまわないように

振り返ってみることにします。

 

 

日航機墜落事故の生存者女性4人の現在・その後は?

 

日航機墜落事故が起きたのは、第72代中曽根内閣の時代

1985年(昭和60年)8月12日。

18:12に羽田空港を飛び立った伊丹空港行きのJAL123便が

飛び立った44分後、18:56に群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落。

乗員乗客524名。そのうちの520名が死亡し、生存者は4名。

そしてそのすべてが女性になります。

 

 

日航機墜落事故の生存者①座席番号54F『吉崎博子』さんの現在は?

吉崎博子さんは5人家族のお母様です。現在67歳。

当日は家族5人で搭乗されていらっしゃいましたが

助かったのは、博子さん(当時34歳)と娘さんの美紀子さん(当時8歳)のお2人。

現在は、東京都内の母方のご実家で暮らしていらっしゃるとのことです。

 

 

日航機墜落事故の生存者②座席番号54D『吉崎美紀子』さんの現在は?

お母様の博子さん同様、事故当時、骨折など大きなケガをされていて

大変な思いをした吉崎美紀子さんは現在41歳。

お母様とおなじく東京都内にて暮らしていらっしゃるとのことです。

 

 

日航機墜落事故の生存者③座席番号60D『川上慶子』さんの現在は?

日航機墜落事故の報道でヘリで救出される場面が取り沙汰され

北海道旅行の帰りにご家族で123便に搭乗していた川上慶子さんは現在45歳。

事故後、島根県で祖母と兄(搭乗していなかった)と3人で

暮らしていらっしゃたとのことです。

 

その後、スキューバダイビングをするためアメリカに渡った際に

出会った方と国際結婚。

その方が現在のご主人になります。

 

 

 

日航機墜落事故の生存者④座席番号56C『落合由美』さんの現在は?

CA(客室乗務員)の経験を積んだ方だけがなれる

アシスタントパーサーであった落合由美さんは

墜落事故当日は私用で搭乗していたとのこと。

 

事故後も日本航空事故関連のお仕事を務めていらっしゃいました。

 

その後、定年まで勤め上げ、日本航空を退職し

59歳の現在、大阪府内でご家族の元で主婦として

暮らしていらっしゃるのだとか。

安全教育セミナーなども開かれていたとのことです。

 

 

 

日航機墜落事故で生存できた理由は?座った座席はどの位置?

生存者4名の方が座っていた座席は全て

機内の後部座席の中心寄りに集まっていたとのことです。

(画像引用元:Wikipedia)

 

また、理由としては以下の用に推察されており、

 

墜落時の衝撃は100~数百Gと推定され、これらの部分に搭乗していた乗員・乗客はほぼ即死したとされる。 胴体後部は墜落時の衝撃で分離、山の稜線を飛び越え付近の沢に落下した。この部分の衝撃は数十Gと推定され、搭乗者のほとんどはその衝撃によって致命的な傷害を受けたが、4名の乗客が奇跡的に生存した。生存者は着座の姿勢や人体に接した周囲の物体などの状況が、衝撃をやわらげる働きをしたため生還できたものと考えられた(引用元:Wikipedia)

 

身体の柔らかい、子供、女性。

そして、最後尾でかつ中心寄りの座席であったことなどが

墜落の衝撃から逃れられた要因のひとつではないかと言われています。

 

 

 

日航機墜落事故から33年 まとめ

早いもので、33年。

 

多くの謎や陰謀説も囁かれながら

今もなお毎年語り継がれる

日航機123便墜落事故。

 

33年後の2018年8月12日には

272人のご遺族の方たちが慰霊登山を行ったそうですね。

(画像引用元:https://www.fnn.jp)

 

生存された方からの証言から

墜落時にはもっと多くの方が生存していたのだとか。

発見がもっと、もっと早ければ、と悔やむばかりです。

 

改めて、お亡くなりになられた方の

ご冥福をお祈りするとともに

今後このような事故、事故後の遅い対応が起きないように。

この事故が風化されないように

心から願います。