AI時代到来!共存できるデザイナーとは?

ともだちと遊びたいのだけれど

話すのが苦手だったので

遊べずにいることが多かった。

そんな幼少時代を過ごしていた。

 

 

絵がともだち

 

根がくらいのではない。

いや、くらいのかも。

とにかく

コミュニケーションのとりかたを知らなかった。

極端にいえば

興味がなかったといってもいい。

 

親の都合で引越をくりかえし

ひねくれてしまったのかもしれない。

深読みかもしれない。

 

 

ともだちを作っても

すぐいなくなってしまうもの。

そんなことをくり返しているうちに

友好関係を築くことよりも

家で絵を描いていることが好きになっていった。

 

でも、そんなぼくに親は

「外であそべ」など

なにひとつ強制することはなかった。

 

それは

むかしむかし

小学校2年生ごろのはなし。

 

 

ぼくのすきな家族映画

 

 

はなしは現在へ。

 

来年公開予定だったピクサー映画

トイストーリー4の

公開が延期が決定している。

(2019年6月の公開)

 

その代わりに

2019年に公開予定だった

Mr.インクレディブル2(仮題)の制作が

思いのほか速く進んでいたので

急遽2018年6月に公開されることになった。

 

ぼくは、ピクサー映画の中で、

Mr.インクレディブル(1)がいちばん好きだ。

肩を落としている、うちの子どもたちには申し訳ないが。

 

家族が団結し悪と闘う。

何て素晴らしいんだろう。

 

家族、いや

ピンポイントでお父さん向けの映画ではないだろうか。

映画館で号泣したのを覚えている。

しかも前作と同じ

ブラッド・バード監督らしい。

く〜。待ち遠しい。

 

 

次はどんな話なんだろう。

 

前回はこんなかんじ。

 

ヒーローの活躍により

悪が退治されるのはいいことだけれど

退治する際に

待ちが壊れたり弊害が多く

政府はついに決断する。

「ヒーロー禁止令」を発動。

しかし国が窮地においこまれ

ヒーローが再び必要に?

 

 

 

個性の危険性

 

 

この映画は

なんといっても

個性的なキャラクター設定が見所だ。

 

ピクサーはこの映画で

人間を主人公にするという

タブーをはねのけた。

 

禁止例後

保険会社のクレーム係として

ひっそりと働くお父さんは

過去の栄光を忘れられず

正義の味方を続ける父

ロバート・パー。

 

ヒーローであることがばれると

街から追い出され

市民から迫害を受け

引っ越ししなくてはいけなくなるので

とにかく家族のスーパーパワーである

個性を封じ込めようと躍起になる母

イラスティガール。

 

 

内気で恥ずかしがり屋の長女、

バイオレット。

透明人間になれるし

バリアを作れるし

すごい防御能力。

 

超光速の足の速さが能力

それをどうしてもアピールしたい長男

ダッシュ。

 

なんの能力も覚醒していない

赤ん坊の弟、ジャック・ジャック。

 

 

こんなにすごいスーパーパワーがあるのに

表に出ることはゆるされない。

なぜなら

個性を否定する

社会というものが存在しているから。

 

この映画

見る前の予想を覆された。

 

スーパーマンや、MARVELなどの

スーパーな能力がすごいから

映画が面白い、という類いの映画ではなかった。

ファンタスティックフォーがネタ元らしいが

家族それぞれの能力

個性のあたえ方も

深読みすると

なかなかおもしろい。

 

 

「力自慢」→「権威でねじふせようとする」

 

「伸び縮みする身体」→「家族の包容力」

 

長女

「バリア、透明」→「人に壁をつくる、かかわりたくない」

 

長男

「俊足」→「短気、自由奔放」

 

次男

「 ? 」→「 ? 」(ネタバレ禁止)

 

 

 

『ふつう』という価値観の怖さ

 

 

それぞれすごい能力ではあるが、

 

なんてことはないね。

 

ふつうの人間の長所と短所がからみあう

ふつうの家族の風景ではないだろうか。

 

 

 

そして物語が進んでいくと

ボスキャラ登場だ。

 

テクノロジーを駆使し

ハイテクな機器で

元ヒーローたちを駆逐していく

キャラクター

「ミスターシンドローム」が出てくる。

 

 

個性・人間性の無い人間がAIに消される

 

2004年に公開された「1」だが

AI vs 人間の能力、個性(personality)との戦いを描いている。

まさに現代を象徴している。

 

 

で、この

ひねくれたテクノロジーヒーローを

家族一致団結して

それぞれの個性(スーパーパワー)を駆使して

やっつけるわけなんだけれども

映画の見過ぎであろうが

ぼくはこう深掘った。

 

本当の敵はシンドロームではなく

先述の

個性を否定し

いわゆる平均的な

“ふつうの人間”を育て

社会に組み込みやすい

会社の歯車の“一部品”を量産しようとしている

国そのものではないだろうか

って。

 

 

個性を否定するような

学校教育、先生の話は長年

耳がくさるほど聞いてきた。

うちの子にももちろん、それ、があった。

また

ビジネスの現場でもよくある話だろう。

 

いわゆる『ふつう』という

それぞれの価値観、固定観念がうみだす

去勢教育といえる。

 

その去勢教育が

平均的な人間を多く生み出し

AIに淘汰されるべき人間を

社会が生み出し続けている。

 

これは恐怖するべき事実だ。

 

でもそれは同時に

共存する道を示しているということでもある。

それが

AI、Iot時代に生き抜くために必要な

『個性・人間性』の重要性を示している。

 

 

AIと共存できるデザイナー

 

 

だれでもできるような

平均的な生き方を強いられてきて

自ら問いも立てられない人間が

ディープラーニングをくり返す

AIと共存できるとはとうてい思えない。

 

2040年ごろまでには

AIの大きな波にのまれると

大方の予想がある。

 

盲目的にシンギュラリティ(機械が人間の能力を越える)を

怖がってはいけないとおもう。

 

だけど、いま

Incredible(驚くべき)時代の到来を前に

Incredibleな個性、ヒューマンタッチ、人間らしさというものが

見つめ直されているという話は現実的に納得がいくはなし。

 

 

 

消えていくデザイナー

 

今まで何も考えずに

向上心を持たずセンスも磨かず

“デザインっぽい”ことをしてきた

と、少しでも胸が痛んだデザイナーなら

まだ間に合うかもしれない。

 

誰かのデザインをまねただけのデザイナー。

どこかの素材集を丸ぱくりで納品するデザイナー。

コンセプト皆無の見た目が派手なだけのデザイナー。

 

こういったデザイナーは

まさに現代

消えそうな(消えていくべき?)デザイナーと

いえるかもしれない。

 

 

自戒の念を込めて。

 

親や教育者は

自分の価値観を押しつけ

個性を封じ込めるような

言動、行動をしてはいけない。

過干渉ではいけない。

 

アドラー的に言えば

課題の分離にあたるか。

 

ほどほどに距離を保ち

見守り、応援することに専念していこう。

かつてぼくの親がそうしてくれていたみたいに。

おかげで、いまぼくはスーパーではないけれど能力を手に入れ

なんとか家族を守っていけている。

 

 

Mr.インクレディブルで

「思いっきりスポーツがしたいだけなんだ」

と懇願した長男のダッシュは

おかあさん(元ヒーロー イラスティガール)に

「スポーツなんて絶対にだめ

 もっと実になることをなさい」

と怒られたときに

いい返した言葉でおわります。

 

「ママはいつもベストを尽くしなさいっていうけれど

 どうして得意なことしちゃだめなの?」

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です